最高裁判所第三小法廷 平成5年(行ツ)85号 判決 1997年11月28日
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人堤浩一郎、同篠原義仁、同山田泰、同小口千惠子、同三浦守正、同稲生義隆、同根岸義道、同岩崎宣隆、同森卓爾、同影山秀人、同中村宏、同高橋宏、同畑山穣、同川又昭、同飯田伸一、同星山輝男、同佐伯剛、同藤田温久、同野村正勝、同船尾徹の上告理由について
一 本件は、被上告人に採用されて横浜市立保育園で保母として勤務する上告人に頚肩腕症候群が発症したため、上告人が、右頚肩腕症候群は保母としての業務に起因して発生したものであり、被上告人はその防止、回復の措置を怠った点で安全配慮義務に違反していると主張し、被上告人に対し慰謝料一〇〇〇万円等の支払を求める事案である。
二 原審は、概要次のような事実関係を確定している。
1 上告人は、昭和一五年三月二〇日生まれの女性で、昭和三五年一二月に被上告人に採用され、横浜市児童相談所で受付事務等に従事していたが、昭和四三年四月から保母として勤務することになり、同月一五日から市立長津田保育園に、昭和四七年六月二日から市立山手保育園に、昭和五二年五月一九日から市立根岸保育園に、いずれも保母として勤務してきている。
2 上告人は、長津田保育園において、昭和四三年度は一、二歳児六名を、昭和四四年度は四歳児一三名を、昭和四五年度は五歳児一三名をそれぞれ一人で担当し、昭和四六年度は一、二歳児一〇名(同年八月から一一名)を同僚と二人で、昭和四七年四月、五月は一、二歳児一一名を同僚一名及び応援保母と共に担当した(もっとも、昭和四六年五月一日から同年八月二日までは産休を取っており、この間は保育業務に従事していない。)。上告人は、長津田保育園に勤務し始めてから三年目の昭和四五年九月ころから、時々、肩、背中の痛みを感じるようになり、また、昭和四七年四月ころからは、慢性的肩凝りがあるのに加えて、右腕、右肘の筋肉が非常に痛み出した。
3 上告人は、昭和四六年六月一四日長女を出産したが、産休の終了した同年八月以降は、勤務時間中は姉に長女の世話をゆだね、帰宅後は自ら長女、当時七歳の長男及び五歳の次男の育児に当たるとともに家事を処理した。上告人は、同年一〇月ころ、出産の影響により、腰から大腿部の筋肉痛により産婦人科で治療を受けた。
4 上告人は、昭和四七年六月二日に山手保育園に転勤したが、同保育園は、新設保育園であり、上告人が着任した時点では、上告人を除く保母三名及び作業員一名はすべて新規採用であり、園長は児童福祉事業に従事した経験がなかった。上告人は、着任早々、保育開始のための準備的事務の処理に当たったが、主任(上席)保母として、又は保母経験のある者として、指導的ないし中心的立場で事務処理をし、短期間ながら、多忙で、その負担は重かった。同月一一日から保育が開始され、上告人は、当初、一、二歳児六名を一人で担当したが、同保育園では、同年七月二四日から同年八月三一日まで、夏季合同保育ということで、出勤している保母全員が登園している園児全員を保育する混合保育方式を採った。また、上告人は、調理員が同月七日から同月一五日まで休暇を取った際、七日間、厨房で一日平均約一二・四名分の調理を担当した。
上告人には、同保育園に転勤したころから、肩凝り、腕のだるさのほか、立っているのがつらい、精神的疲れを感じるなどの自覚症状があり、同年七、八月ころは、自宅で家事をするのがつらく、保育園での調理作業中、右背中に作業を中断しなければならない程の激痛を感じたことがある。上告人は、同年九月四日に、汐田病院で診察を受けて頚肩腕症候群と診断され(その後、業務に起因するものであるとの意味を含めて、病名を頚肩腕障害と改められた。)、同日から同病院に通院し、マッサージ等の治療を受け始めた。
上告人の同年の休暇の取得状況をみると、一月に一日、二月に三日、三月に二日の年次休暇を取得し、一月に生理休暇を一日取得しているが、山手保育園に転勤してからは、汐田病院に診察を受けに行った九月四日と更に一日のほか年次休暇はなく、夏季職免が七月に一日、八月に五日、職免が六月に一日、八月に〇・五日あるだけである。
汐田病院に通院し始めた後も、同僚保母が同年一〇月初旬から昭和四八年三月末日までほぼ欠勤する状態が続いたため、上告人は、保母経験の最も長い主任保母の立場上、自分の本来の担当組のほか、右保母の担当していた三歳児の組の保育も引き受け、他の保母の協力や時間外託児福祉員の補助を受けながら両組の合同保育に当たり、編成替え後は、右三歳児の組の幼児の一部を引き受けて合同保育を行ったが、乳児室が合同保育には狭すぎることなどもあって、上告人にとっては精神的にも身体的にも負担が増した。
5 上告人は、昭和五一年八月まで汐田病院に通院して治療を受けたが、この間、症状は起伏を伴いながらも続き、同年八月一三日の最終通院時の症状につき、担当医師は、初診時に比べ進行し悪化したとの見解を述べている。上告人は、昭和四九年七月から昭和五八年六月まで月に一回ないし五回の指圧治療を受け、また、昭和五九年四月から骨格調整治療を受け、その改善効果を感じている。
6 保育業務に当たる保母は、発達段階を異にした複数の乳幼児の活発な動きに合わせて身体を動かすことが多く、この間気の抜けない精神的緊張を間断なく強いられ、また、乳幼児を介助のために抱き上げるなど上肢を使用することが多く、乳幼児の身体的条件に合わせるため、成人としては不自然な中腰、前屈、低位姿勢をとらざるを得ないことも多い。さらに、保育業務は、心身の発達の未熟な乳幼児という人間を対象とすることから、心身の苦労や負担の多い仕事であり、受け身的で、かつ、拘束性が強く、他律的な作業とならざるを得ず、保母が他の動作をしているときに乳幼児が前後左右の方向から突然保母に飛び付いたり、引っ張ったり、押したりすることがあり、その動きにより身体の当該部位に負担がかかることもある。
7 頚肩腕症候群とは、一般的に、主として頚部、肩、上肢にかけての痛みを訴え、しびれ感、重感、脱力感、知覚異常などの症状を併発する状態に付けられた総括的名称とされ、他覚的には、当該障害部の筋肉の病的な圧痛、硬結等を伴う。業務に起因して発症する場合もそれ以外の原因で発症する場合もあるが、外傷に起因するもの、原因が明らかなものは、原因疾患名が付けられて、頚肩腕症候群から除かれる。発症の要因は、複雑多岐であり、労働因子、身体的因子、精神的・心理的因子を無視することはできないと考えられている。
職業病としての頚肩腕症候群の発症の原因や病理的発生機序については、いまだ十分な解明がされていないとはいえ、せん孔、印書など上肢に過度の負担のかかる業務に従事することにより頚肩腕症候群の症状を生ずることは、医学的にも、法的にも承認されている。保母の業務と頚肩腕症候群との因果関係については、公務員を含め労働者災害補償上の行政的取扱いとしては、個別的に因果関係の有無が判断されるものとされているが、相当数の保母が頚肩腕症候群による労災(又は公務災害)補償認定を受けている。
三 原審は、以上の事実を確定しながら、(一) 保育業務は、一般的には、長時間にわたり一つの動作を間断なく反復継続したり、一つの姿勢を相当長時間にわたって保持、継続することを強いられる事態が日常の業務の上で度々生ずるとは認め難く、労働省の業務上外の認定基準に関する通達にいう上肢の動的筋労作又は静的筋労作を主とする業務には当たらず、上肢という身体の特定の部位に過大な負担を負わせる性質のものとはいえないから、一般に頚肩腕症候群が生ずる蓋然性が高い職種とは、にわかにいい難いこと、(二) 上告人の長津田保育園及び山手保育園における業務は、一時的に他の時期に比べてその負担が重かった時期もあったが、上告人にとりその業務内容、業務量において過大なものであったとはいえず、また、執務環境についても、保母一人当たりの園児数、園児一人当たりの施設面積は厚生省の定めた児童福祉施設最低基準に違反しておらず、長津田保育園における執務環境には問題があったものの、いずれも、特に劣悪なものであったとはいえないこと、(三) これらのことに、頚肩腕症候群については、その発症の原因について医学的解明が十分にされておらず、発症者の身体的、心理的因子が絡むことも無視し得ないとされていること(上告人の出産、育児等の事情を全く無視するわけにはいかない。)、保母の業務は身体の両側をほぼ同様に使用するとみられるところ、上告人の症状は、主として身体の右側に現れていること等を考え合わせると、保育業務と上告人の症状との間に何らかの関連があることを否定することはできないとしても、上告人の従事した保育業務が上告人の頚肩腕症候群の発症や憎悪の相対的に有力な原因であるとまでは認定することができず、その間の相当因果関係を認めることができないと判断した。
四 しかしながら、原審の右認定判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最高裁昭和四八年(オ)第五一七号同五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)。
これを本件についてみると、前記事実関係によれば、保母の保育業務は、長時間にわたり同一の動作を反復したり、同一の姿勢を保持することを強いられるものではなく、作業ごとに態様は異なるものの、間断なく行われるそれぞれの作業が、精神的緊張を伴い、肉体的にも疲労度の高いものであり、乳幼児の抱き上げなどで上肢を使用することが多く、不自然な姿勢で他律的に上肢、頚肩腕部等の瞬発的な筋力を要する作業も多いといった態様のものであるから、上肢、頚肩腕部等にかなりの負担のかかる状態で行う作業に当たることは明らかというべきである。事実、頚肩腕症候群による労災補償の認定を受けた保母も相当数いるという状況がある。原判決の説示する上告人の具体的業務態様をみても、保母一人当たりの園児数等は児童福祉施設最低基準に違反するものではなく、通常の保母の業務に比べて格別負担が重かったという特異な事情があったとまでは認められないとはいえ、その負担の程度が軽いものということはできない。
また、上告人の症状は、長津田保育園で勤務し始めて三年目で、長女を出産するよりも前である昭和四五年九月に、肩や背中の痛みといった前駆的症状が現われ、その後、長女を出産した約一〇箇月後である昭和四七年四月ころから、慢性的肩凝り、右腕、右肘の筋肉の痛みという形で顕在化した。上告人は、その状態のまま、新設の山手保育園に主任保母として着任し、同僚のほとんどは新任保母であるという状況の中で入園式や保育開始準備に集中的に当たり、その間、一〇日程度の短期間とはいえ、精神的、身体的に負担が大きかった上、一、二歳児六名を一人で担当することとなり、このころも肩凝り、腕のだるさ等の自覚症状があったところ、夏季合同保育期間中であった同年八月に調理員が休暇を取った七日間は、一日平均約一二・四名分の調理を担当するなどしており、その調理作業中に右背中に激痛を感じたというのである。そして、その後、同年九月四日に汐田病院で診察を受けて頚肩腕症候群と診断され、通院を開始した。上告人は、この間、必ずしも十分な休憩、休暇を取得することができなかったこともうかがわれる。その後も、同僚保母の長期欠勤のため合同保育に当たるなど、上告人の業務負担が重くなったことはあっても軽減されることはなく、上告人の症状も若干の起伏を伴いながら続いた。
こうした上告人の症状の推移と業務との対応関係、業務の性質・内容等に照らして考えると、上告人の保母としての業務と頚肩腕症候群の発症ないし憎悪との間に因果関係を是認し得る高度の蓋然性を認めるに足りる事情があるものということができ、他に明らかにその原因となった要因が認められない以上、経験則上、この間に因果関係を肯定するのが相当であると解される。
上告人の出産、育児、発症部位その他の原判決の説示する事情は、記録に照らしてこれを検討しても、右の結論を左右するものではない。
五 したがって、原判決の説示する理由をもって上告人に発症した頚肩腕症候群と上告人の保母としての業務との間の因果関係を否定し、上告人の本件請求を棄却した原審の判断には、因果関係に関する法則の解釈適用の誤り、経験則違背、理由不備の違法があるものといわざるを得ず、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は右の趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、上告人主張の義務違反、過失の有無等につき更に審理を尽くす必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
最高裁判所第三小法廷
(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文)